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GoとComeの違い

アメリカナイズとは言うけどどうも何が本当のアメリカナイズなのか分かっていない人が多いようなので、今日はその授業ね。語学や感覚なしでは結局何も変わらないからね。

GoとComeの違いだよ。下の図を見て。

真ん中の子が左の子とジャスト・ブロークン・アップしたんだ。悲しいね(TωT)。でもそれが人生だから。。。そしてその子は早くも右の子を見つけハッピーな方向へ(^ε^)♪向かおうとしている。

いいかい?バイバイは"Go"なんだよ。そしてハローが"Come"なんだよ。英語ではバイバイかハローでGoとComeにしっかり真ん中で分かれる。

ところがその上に書いてある赤い日本語を見て。これが普段みんなが使っている「行く・来る」の違いだよ。英語と違い「行く」が3/4で「来る」が1/4。英語と違い中途半端だね。

象徴的だね。「行く」はバイバイだからね。日本語の場合は自分まで置いていくんだよ。人と合わせるために。主体としての自分がないからその場その場で相手に合わせる。自分の存在が絶対的ではないんだよ。自分を中心に右左に分かれているわけじゃない。周りを中心に自分がある。一方英語では自分中心に置いて世界が存在している。アメリカナイズというよりは東洋的、西洋的といった違いのほうがいいけど、日本がリベラルな本当の意味の民主主義に移行するためには一人一人がこの感覚を持つことは大切なんだよ。こういう感覚を持たないとずっと誰かの言いなりで暮らさなきゃならないんだよ。自分を持って!人に合わせる必要なんてないんだよ。


図はきれいじゃないけど、かなりきれいで簡潔な説明でしょ。こんなに判りやすい説明今までに聞いたことがない。しかも哲学まで入ってるし(笑)。


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日本語は根本的に論理的な言語ではない。その言葉をメインに使って論理を言い張る人たちは論理的ではないよね。

例えば日本語の「~と」という言葉は本当に曖昧だよ。「~と~」と言うともしかしたら選択肢が増えるような感覚?自分の世界が広がるような感覚を持つ?でも実際は自分の世界が減ってしまう場合もある。きっと和(倭)(大和)の概念の恐ろしさってその曖昧な日本語ゆえなんだよ。

このタイトルで使った論理演算子ってきっとプログラマーの人でなければ見たことないよね。&&は論理積と言われるもの。||は論理和と言われるもの。日本人は「~と」というとすぐにイクイヴァレントな英語として"and"が出てくると思うのだけど、実際には二通りあるよ。"and"と"or"ね。ちょっとこのブログの趣旨に沿った例を出してみるよ。

例:「日本人の条件」
論理積(and)→母親が日本人,父親が日本人,日本で生まれた,and 君が代を歌う
論理和(or)→母親が日本人,父親が日本人,日本で生まれた,or 君が代を歌う

論理積(and=かつ)「母親が日本人で、かつ父親が日本人で、かつ日本で生まれて、かつ君が代を歌うのだけが日本人である。」
論理和(or=または)「母親が日本人で、または父親が日本人で、または日本で生まれて、または君が代を歌うのが全部日本人である。」

上の例はアゴラの人達が使う「~と」。下の例は民主主義世界の主流の「~と」という考え方。そう言い切っていいでしょ。この部分を指摘するのは多分私が人類初だから(笑)。隔たりの大きさがわかるでしょ?でも日本語は一緒くただから。前者は本当に小さな偏狭な世界観。それが日本の和の概念と言われて楽しく感じる?うわ~。アゴラ・在特のおぞましさよー、という感じ。日本では、一部知ったかぶった人達によって平気でさも論理であるかのように前者の意味で「和」が使われてしまうわけ。世界からかけ離れるわけだよね。「~と」という言葉。日本語の非論理性から生まれる曖昧模糊な、ときに権力者の好きなように使われる和という概念。恐(;°皿°)でしょ?

ちなみに英語でのand, orの違いは否定文のときにより大切となる。せっかくここまで触れたのだから説明しておくよ。今度はちゃんと英文の例ね。 :mrgreen:
It is not the case that he is kind and rich. 「彼は親切かつ金持ちな訳じゃない。」
=He is not kind or he is not rich.
ということは彼は親切で金持ちを同時に満たしているわけじゃないから、彼はそのどちらかだ、と想像できる。即ち全否定の文でなく部分否定ということになる。
一方
It is not the case that he is kind or rich.「彼は親切または金持ちな訳じゃない。」
=He is not kind and he is not rich.
彼は親切でも金持ちでもどちらでもない、ということになる。即ち全否定になる。
ド・モルガンの定理とか言うと分かりにくいので単にnot...A and B→部分否定not...A or B→全否定と覚えるといいと思う。

参考のためにド・モルガンの定理はこんな感じ。
not (A and B) = not A or not B
not (A or B) = not A and not B


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名詞構文 (Noun Structure)

名詞構文とはあまり知られていない英語文法用語だ。が、どうやらその存在は、人間が言語にそう在って欲しいと願っているより、言語とは遥かに曖昧な存在であることを示す例証のようだ。

英文法として説明をするより日本語として先に説明したほうが判りやすい。例えば「母の教育」と言うと何も不自然さはないようだが、よくよく考えるとはっきりしないのである。
「母が~に教育する」のか
「~が母を教育する」のか
「母の教育」ではどちらなのかが判らないのである。問題は所有格の助詞「~の」にある。前者は所有格の母を主語に使った意味で、後者は所有格の母を目的語にとっている。「教育する」を「教育」という名詞にして扱うから名詞構文というようだ。それは単に文法の名前の所以だが、問題は何故そういう使い回しが存在し続けているのか?だと思う。曖昧さを避けるためにこういった表現は止めよう、ではなく逆に言葉の曖昧さ保つためにこういう言い回しが存在し続けているようにみえるのだ。

最初に言ったようにこれは英文法の話だ。"the mother's education"英語でも日本語でも同じ曖昧さが生じる。もしかしたらこの名詞構文自体が以前からわたしが主張している日本語のクレオール化の証拠かもしれない。英語も日本語も前置詞や助詞を変えればもっとはっきりした意味が表せるのにも関わらずだ。
ちなみに英語はこんな区別があるよう。
the mother's education(母が教育すること)
the education of the mother(母を教育すること)
ということはこんな使い方もある。
The mother's education of her children tends to be severe.(母が子供達を教育すること...)
ただし絶対ではなくこういった傾向があるということ。

ロゴス至上主義者の綴るエクリチュールはこの名詞構文をいかように説明するつもりなのか?こういった言葉の存在自体がロゴス的判断の中止を促していると思えるのだ。曖昧さの所以は言葉が持つ媒体としての不的確さというよりはそれを使う人間が、その宙を漂う曖昧なエクリチュールに身をまかしてしまったことに始まるのではないだろうか。実際、曖昧の対極である「意思決定」こそが人間の行きついた精神病を象徴する、私はそう見ている。

以前わたしは何人か心の病気を持つ生徒を見たことがある。今でも夜な夜な彼らがわたしにメールを送りつけてきたのを思い出す。その中身にはいつも不思議と共通点があった。彼らは毎回、今日は何かしらを決定したと送ってきたのだ。どこかの医者がそんな治療法を考案して、自分の決定を誰かに伝えなさいとでも、教えたのだろうか?正直わたしには彼らの意思決定が、単なる強迫観念によって生み出されるものとしか思えないのだ。それを決めたからといって何になるのだろう。そして暫くわたしが返事を書かないと、彼らはもう二度とわたしにはメールは出さないと意志決定を下してくれる。そう、放っておけば彼らは簡単に自滅してしまう。決定という強迫観念を継続するがゆえの自滅である。

取りとめなく書いてしまった…ように思えるかもしれない。でも人間は核ミサイルの発射ボタンを押すという決定より数百倍も賢い言語という判断中止・エポケーの方法を持っているのではないのかと...ふと思ったわけである。


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Even more interesting than who the subject is...

Even more interesting than who the subject is, is the question of why this one portrait, among so many painted in the Rsnaissance, has become so famous.

普段は高校教科書とか馬鹿にしてあまり目を通さないのですが、昨日「何これ?」というものがあったのでちょっと採り上げてみたいと思います。クラウンIIのレオナルド・ダ・ヴィンチのトピックからです。どうでしょう?一読でなんとなく言いたい事は解ると思うのですが、文の構造としてどうなっているのか、ちょっと不思議ですよね 😀 。

先にちょっとヒントを出します。それでからもう一度考えて見て下さい。まずコンマの存在が、なんだか分かりづらいですね。引っかかってはいけないのが最初のコンマから次のコンマまで、これを挿入句と見るとちょっと分かり難くなる。最初のコンマは実は英語文には珍しくただの区切り、前のisと後ろのisをごっちゃにしないためなのです。だから文としては続いています。それからもう一つは、2番目のisの後ろにはthatが隠れています。さあどうでしょう?

"Even more interesting than who the subject is is that the question of why this one portrait, among so many painted in the Rsnaissance, has become so famous."

もしかしたら、余計分かり難くなった(@д@)?そして英検2級以上の英文法の知識がある人なら、これはどう見ても通常のSVOやSVCでなく、文に乱れがあると判断できますよね。そうです。倒置です。その前にamong前置詞の挿入句を元の場所に戻しますね。

"Even more interesting than who the subject is is that the question of why this one portrait has become so famous among so many painted in the Rsnaissance."

どうでしょうか?見えてきましたか?この文のメインの主語と動詞。メインのSとVに線を引きますね。

"Even more interesting than who the subject is is(V) that the question of why this one portrait has become so famous among so many painted in the Rsnaissance(S)."

それでは倒置が置こる前に戻します。

That the question of why this one portrait has become so famous among so many painted in the Rsnaissance is even more interesting than who the subject is.
(ルネッサンスの多くの絵画の中でこの一つの肖像画が何故有名になったかという問題のほうが、この絵の主題よりさらに興味深い。)

倒置はわざと文に違和感を出し、「強調したいんだ」と主張するために使われるのです。


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