The World You View, part 3


宇宙は宇宙で客観存在として在るのか?それさえも判らなくなる。もし在ったとすれば、人間は世界を見た時点でその中に確率を作り出し人間の予定調和の宇宙を作り出すことになる。それがオリジナルの宇宙にどう絡むかはちょっと想像できない。人間の蓋は客観宇宙とは別次元に存在するのか?あるいは客観宇宙をもコントロールしているのか?最先端の量子力学では人間が見た途端に宇宙の元から完全調和は崩れヒッグス粒子に満たされることになっている。でも分からない。それも予定調和だから。

数学者がこの世界の一部を数値化して満足することは、写実画家がこの世界の一部を写真のように切り取って満足することに似ているね。自分の立つスタンスを知るのはきっと大切だろう。物質(宇宙)は客観存在としても成立しているだろうけど、人間はそれを見ることによって主観の中に成立させるのだから。人間は、数学者の真実を追究しようとする思惑とは裏腹に物を相対として知覚する。一つの真実を追い求め数値で表す願望は人間が機能的にそれを出来ない故に生まれるのかもしれない。

満足しなかったピカソは恣意を使うことでその物質同士の相対性を強調した。写実を超越した画家は物を描くのに単独の物質を描いても無意味だと知っているからだ。ここでまた言葉の智慧を借りると、英語では「恣意的」はarbitraryとなるが名詞のarbitrationとなると「仲介」となる。自分だけを信じている者はそこに在る物質のどれにも肩入れすることなく宇宙を自由に切り取ることができる。ピカソは物質と物質の絆を描いた。宇宙は人間の見る世界に予定調和されるかもしれないが、自分だけの恣意を使えば少なくともそこに置かれているのがコップだという予定調和的視点を逃れ、もっと正確に物質存在を仲介できるのだ。多分これがエポケーであり現象学的還元だ。

(これは2015-04-01アメブロDeity Cliqueに投稿した記事の修正移植です。)



Musicians: Marc Bolan, T. Rex Genre: 70s, Glam Rock

The World You View, part 2


「人間が樹立する事物間の絆は、事物に先立って存在し、事物を決定する働きをなす。...まず在るものは視点だけであって、人間はこの視点によって二次的に事物を創造する。」(ソシュール)

で、中国ではそのドーム型を蓋と言う。頭蓋骨の蓋、丸い天蓋を表す。さらには「然るべき蓋の世界」となると蓋然、すなわち確率になる。私が疑っていること何か判る?もしかして人間が見るこの蓋の世界の中では人間自身が確率を支配しているのじゃない?。。。

量子力学では「シュレディンガーの猫」というパラドックスがある。世の物質の全ては原子や分子より小さな粒子でできている。そして人間が物質を見るには光が必要で、しかし光自体も小さな光子という物質でできている。ということは不思議な事が起きる。人間が物質を見ようとするとその時点で小さな粒子達は光子によって弾かれてしまう。人間は、もうすでに元あった形とは違う粒子達あるいはそれによって構成された物質を見るということになってしまう。。。よって毒薬の入った箱に入れられたシュレディンガーの猫は人間がその箱を開けるまで、生きているか死んでいるか判らない。というより、実は人間がその箱を開けた時点で決定される。

中国四千年の歴史から生まれた言葉は伊達ではないでしょう。歴史によって磨かれた言葉は人間の智慧そのものだったりする場合があるよね。例えば英語のアブソリュート(absolute)という言葉「絶対の」という意味の形容詞だけど、アブソリューション(absolution)という名詞になると「許し」になる。私だったら世の中に絶対は無いんだと解するな。で、また話を戻すと確率とは数字を使った数学的概念で宇宙のどこでも通用する普遍性を持つ、はずだよね。だったら何故中国人は確率に蓋という閉ざされた空間を与える必要があったの?私にとって蓋とは人間が見る世界とそのままイメージ的に重なるんだよね。

(これは2015-03-26アメブロDeity Cliqueに投稿した記事の修正移植です。)



Musicians: Fred Frith Genre: Avant-Garde

The World You View, part 1


人間は世界をよく知れば知る程、実は自分が何も知らないという事実を知る、と思うんだけどな。。。例えば人間の見る世界はほぼ錯視の世界だし。色や形、物の価値観等々、実際は人間は何も正しく見ていないし。これを言うと凄く女性に嫌われるのだけど、愛と思い込んでいるような物もかなりの割合で錯覚だし。

一方ガラパゴス学者(ここで彼らの話を出すのもなんだけど、まあ愚かの典型として)は知れば知る程、自分は何でも知っていると信じ込む。頭が足りなくても世渡りだけで大学教授になり、自分は優れていると思い込む。挙句の果てに空想の歴史やストーリーまで知っていると言いだす。

例えば、私の母がのら猫に鰹節とか魚とかやたら食べさせているようなのね。あの...猫って海育ちだった?ときどき海に潜って魚とか捕ってた?肉食だけどオリジンを考えると魚を食べる発想はちょっと違うよね。自分の都合のいいように、実物なんて残ってもいない古事記や日本書紀で日本の歴史を編纂していくガラパゴス学者ってレベル的にはうちのお母んと同じか?

まあそれはさて置き、人間の目って横に二つ付いているでしょ。おかげで人間の見る世界は誰もが思い起こす半球(ドーム型)ではなく、かなり歪んだ半球になっている。横方向の距離認識は非常に良く出来る。でも上下となるとちょっと難しくなる。水平線近くにある月は凄く大きく見えるでしょ。でも天上の月は相当小さい。実際の月の大きさは月がどの位置にあろうが同じですから。月の隣りに一緒に物を見るかどうかという錯覚の仕業が大きいけど、人間の目が横に二つしかないというのも大きな原因になっていると思う。おかげで人間は上方下方についての知覚はかなり曖昧になる。

とは言え、二つの目でも3Dに世界を見れるのだから、もし額の辺りにもう一つ目のあったなら4D...何か違う世界が見えてくるかもしれない。

(これは2015-03-25アメブロDeity Cliqueに投稿した記事の修正移植です。)



Musicians: Bill Evans Genre: Jazz