Indifference


indifferenceという言葉がある。反意語を表すinという接頭辞が付いているからdifference(違い)の反対で「同じ」という意味か、と思うとそうではない。「無関心」とか「冷淡」という意味になる。確かに「違い」という意味の逆「違くない」→「些細な違い」→「無視できる」→「無関心」というような経路をたどって現在の意味に至るのだろう。

が、言葉というのは人類の智慧でもある。何世紀にも渡る人間の歴史や社会の進化・淘汰そのものとも言える。そして、上で述べたindifferenceという言葉をその方向からもう一度考えてみる。英語の熟語にmake a differenceという言葉がある。意味は「重要である」となる。英語圏では人と違いを作ること、違いがあることが重要なのだ。ことさら日本と西洋の違いを強調するつもりはないのだが結果的にそうなってしまう。実際問題として日本では人と違うことは嫌われる。出っぱった杭は打たれ、見かけが人と違うだけで差別の対象となる。日本人は皆、人と同じであること(普通であること)を望む。

でも人と同じ事なんてあるだろうか?一卵性の双子でも性格は全く違うものだ。英語で「同じ」はthe sameだ。differentであることを嫌う人達はthe sameであることを望む。しかしthe sameはどうやってもこの世にはあり得ないのだ。望んだはいいがその望みが叶わないときほど、自分を持たないひ弱な人間のショックは大きい。よってdifferent(違い)を恐れた自己を持たぬ大衆は目指す先のthe same(同じ)が地図上にないことを知るとindifferent(無関心)な不毛な地に回避行動をとるのである。そうすれば自分が傷付かなくとも済むからである。そして「無関心」程度ならまだいいのだがアイデンティティの脆弱な人ほど極端な差別(攘夷)思想を持ち、自分と違う人間に攻撃をしかける。

無関心な人達がいるのは日本に限ってではないが、「和」「倭」「大和」という言葉が象徴するように日本社会には共同体の一員がdifferentな個でいることを嫌う、民主主義が成立しにくい土壌が元からあるのだ。ましてやその先のthe sameは実現不可能な夢物語なのだから、待っているのは実は破綻しかないのである。

英語、日本語が入り交じり分っかりにくい文章になってしまった。もう一度簡単に結論を言おう。「和=倭=大和(わ)」を目指しているうちは民主主義はあり得ない。「見ざる・聞かざる・言わざる」な人達が一定量を超えた時点で必ず全体主義が発生する。共産主義が机上の空論だったことは歴史が証明した。これとは逆に全体主義は、論理的にあり得ないものが現実世界で成立してしまうのだ。即ち全体主義とは群れなす民衆の破綻形態のことだったのだ。

So 挙国総動員徴用組み体操が強いられるこの世界で How much difference can I make?

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Musicians: Pearl Jam Genre: 90s, Garage, Rock

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